『少女は真夏に何をする?』の孤独


SKE48」カテゴリ新設。
SKE48の『ごめんね、SUMMER』のc/wである『少女は真夏に何をする?』PVに関する考察です。
シングル表題曲のPVも色々と思うところはあるのですが、まずはカップリング曲を単独で分析します。



この曲の主題は「孤独」であるように思われます。
楽曲の歌詞だけに目を向ければ、深読みすれば処女喪失がテーマのようです。
その切れ味の鋭い文字情報を撹乱させるかのように、PVは巧妙に作りこまれています。
学習塾の窓際の席で講義を受ける木下さんの姿から始まる映像。
彼女が「どうする?」と仲間にメールで呼びかける。
高速バスに集結する乙女たち。
行き先は東京。
まずここで、中央(東京)対地方(名古屋)という疎外に由来する「孤独」。


東京行きの呼びかけに応じた仲間たちは、父親に進路の説教を受ける高田さん、ネットカフェでチャットに興じる須田さん、イヤホンで外部を遮断した若林さん、友人と言葉を交わしつつも携帯を手にする桑原さん。
いずれも、目の前の対象との関係が希薄であるような描写。
これもまた、現前に対する「孤独」。
彼女たちにとっては、携帯のディスプレイの中の方が、目の前の現実よりも「リアル」な世界。
その「リアル」に惹きつけられてバスへと走る。
バスの中は女子世界。
人目を気にすることなく、可愛さも欲望もさらけ出す(注目すべきは、財布から紙幣を取り出す小野さんの表情の残酷さ)。
東京に到着した少女たちは真昼の繁華街へ繰り出す。
地元とどっこいどっこいであろう流行度のショップで、制服を脱いでその店で見繕った洋服に着替える。
クレープを買い食いする、プリクラを撮る、ネイルサロンに入る、そしてカラオケに入る。
外のことは一切忘れて、全力でバカ騒ぎする少女たち。
そのうちに窓の外ではとっぷりと日も暮れて、やがて娘の行方を案じた母親から電話が入る。
隔絶されて絶対安全だと思っていた東京の一角にまで、敷居を越えて少女に呼びかける電話。
仲間とはしゃいで、東京では忘れていた「孤独」、それは家族における「孤独」。
それを思い出させられ、一同は夜の東京で足を止め、虚空を見つめる。
孤独。


このPVにおいて演出されている「孤独」は、あくまで演出でしょう。
PV中に何度も挿入される、ダンスシーンとリップシーン。
ダンスシーンは、観客が点在する薄暗いクラブのステージで、まばゆい照明を浴びるメンバーたち。
リップシーンは、メンバーが一人ひとり、赤いカーテンを背にしている。
ドラマ・ダンスシーン・リップシーンという構成は、は通常のPVと特に変わりは無い。
しかし、この曲において特異なのは、ステージでのダンスシーンで、誰もステージのメンバーに目を向けていないこと。
メンバーは壇上から、観客(映像の内外、あるいはカメラ自体)に必死にアピールしている。
映像の中の誰一人として彼女たちを見る者はいないが、カメラの外にいるPVの鑑賞者は食い入るように彼女たちを見つめる。
繁華街のシーンでも同様で、街を歩く少女たちに目を向ける者は無く、彼女たちのコミュニティーだけでストーリーは展開される。
実際のSKE48のメンバーとしての彼女たちは、劇場やステージで数百人の視線を一身に浴びる存在です。
その事実とは正反対の、誰も目もくれない様子が描写されたこのPV。
つまり、映像の中の彼女たちを見ているのは我々だけであり、我々はカメラの外からしか彼女たちを見つめることが許されていないのです。
まなざしが疎外された、まなざされる対象の「孤独」。
これこそが、この楽曲のPV全体を取り巻いている「孤独」の正体なのではないでしょうか。