終了

℃-uteラジオ・キューティー☆パラダイス終了。
よろセン!終了。
わおーん!終了。
きらりん☆レボリューション終了。
春の番組大改編の波を受けて、ハロプロ勢が次々とマスメディアから姿を消す季節。
寂しいもんです。
在宅派としては、マスメディアやCD等を通じてしかアイドルに触れる機会が無いものですから、今後彼女たちがどんどん遠くに感じてしまうことは不可避。
かつてAKB48が結成されたときは「会いに行けるアイドル」という触書きで売り出されましたが、現在のハロプロはそれに近い状態になっているように思います。
コンサート等に参戦すれば「会いに行ける」のは確かですが、逆に言うと「会いに行くことでしか確認できない」アイドル。
これまでは、テレビやラジオで活動しているのを見て、この世界のどこかでアイドルしているアイドルがいる、という認識でもってヲタという立場が保たれてきたのではないだろうか。
不特定多数に向けて発信されるマスメディアからの情報が断たれると、コンサートや握手会等で実際に会いに行くしかない。
そこで、ワルターベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』の中で語った「アウラ」の問題。
コンサートがアイドルに実際に会える数少ない機会となれば、そのイベントのアウラ・一回性は一気に強められます。
舞台で歌い踊り語るアイドルの真正性、さらには神聖性は計り知れないものとなりましょう。
その神々しさをもてはやす様子は、おそらく、もはや崇拝。
ファンやヲタは信者に。
そんでもって「信者」の漢字をグッと左右につづめると「儲」。
アイドルをこの目で確かめようと、チケット購入者が殺到、高騰。
そこに渦巻く欲望と金。
アイドル資本主義の確立。
「『スキスキ』だけじゃ 生きてはいけぬ 資本主義では」とBerryz工房も歌っています。
純粋にアイドルが好き、女が好き、この子が好き、といった感情だけではアイドル産業が成り立たなくなってきているのではないかと切に感じる今日この頃。


何かどんよりしちゃいましたけど。
わかめが恥ずかしげは今後も在宅なりにハロプロを応援し続ける所存であります。