『マジすか学園』第7話をめぐる一考察

AKB48メンバー総出演と銘打ったテレビ東京系『マジすか学園』ですが、先週の第7話について思ったことをいくつか。

  • 論題1 「シングルマザー」設定はどこへ行ったのか。

柏木由紀さん演じるブラックは、制作発表時にシングルマザーという設定を与えられていたが、劇中ではそのようなことは明言されなかった。
しかし、明言されていないながらも、ブラックをキリスト教における聖母マリアに見立てることによって暗示されたのではないか、という仮説。
(持ち物から)→キリスト教との関連
・ロザリオ(カトリック、聖母信仰)
・聖書
(演出から)→超越的存在としての表現
・照明効果(光、闇)
・音響効果(鐘やパイプオルガンを用いたBGM)
・カメラアングル(下から上へのアオリ構図)
・素早さを武器とする役柄設定


聖母マリアといえば、イエス・キリスト処女懐胎して産み育てた人物として知られるが、その父はヨセフではなく神。
何かを産みはしたけれど、そこには具体的な父親が不在。
これを翻案すると、「神(秋元康)の力を借りて何か(エンターテインメント等)を産む女性の集団(AKB48)」と。
AKB48の一側面が、聖母(=シングルマザー)という像を借りてブラックに代表されているのではないか。

  • 論題2 生死のサイクルが中心テーマとなっているのではないか。

秋Pはかつて『クイックジャパン』のインタビューで、「学校は入学して卒業するという“生死”を疑似体験する場である」ということを述べた。
その生死が対比されて要所要所で象徴的に表されているのが第7話ではないか、という仮説。
・「始まりの場所」神社 ― 大島「余命一ヶ月」宣告、大凶みくじ
・前田大島間に生じた友情? ― それぞれの手下(四天王)同士の対決
・前田四天王間の絆を知る前田 ― 倒される柏木
・前田が弁当を食べる ― 「うんこ」、便秘、排泄 …フロイト・肛門期(仮想的死)
 →すなわち、前田サイドの「生」と大島サイドの「死」が対比されている。
このようなAKB48における生死のサイクルが、ドラマの中にも持ち込まれているといえる。


それと、あまり関係無いかもしれないけれど、チームホルモンのムクチとだるまが一つのホルモンを箸で取り合うシーン。
幼い頃から不吉なことだと教え込まれてきた箸渡しは、火葬された骨のメタファーか?
チームホルモンジャージには「肉は焼いても骨焼かれるな」とあるし。

前田四天王に倒されたブラックは、イエス・キリストと同じ磔刑のポーズでフェードアウトする。
しかもそれが満月の夜であることから、復活祭(イースター)に結びつけることができるかもしれない。
論題1で述べたように、ブラックにAKB48の一側面を代表させているとすれば、復活するのはAKB48
そして秋Pを「神」とするのであれば、その「神」が生んだおニャン子クラブが消滅した後、再びアイドル界を席捲すべく復活するのがAKB48、と読むことができるのではないだろうか。

  • その他

だるまとチームホルモンが、「皆で食べた方が美味い」と言ってたこ焼きを食べるシーン。
手羽先は名古屋征服の、たこ焼きは大阪征服のメタファーと考えられる。




非常に長く固く読みづらい記事ですみません。
深読みと妄想とこじつけのため、どれが正解ということは無いけれど、ほんの一考察として。
他の放送回や、放送終了後に全体を通しての分析も必要。